煉瓦の上に大砲ドーン!コーンウォリス要塞
前回の寝釈迦仏見学から車で約15分程度。
コーンウォリス要塞についてです。
基本情報
名前
コーンウォリス要塞
(Kota Cornwallis)
住所
Jalan Tun Syed Sheh Barakbah, Georgetown, 10200 Penang, Malaysia
営業時間
8:30~19:00
入場料
大人RM20(520円) 子供RM10(260円)
2015年にRM10から値上げされました。
電話番号
+60 4-262-0202
アクセス方法
ジョージタウンを観光する場合は、15分おきに観光地を巡回する無料バスを利用すべきです。
巡回ルートはコチラから。
グーグルマップで確認する場合はバス停マークをクリックして「CAT」と書かれているのが無料バスです。
降りるバス停名は
「Fort Cornwallis, Lebuh Light」
歴史
1786年にイギリス東インド会社のフランシス・ライトが上陸。
公式HPの説明ではケダ州(クダ州)の王様に、ペナン島を貰ってスパイスとシルクの交易ルートの基盤としたと説明があります。
ただ、実際の流れは
シャム(現在のタイ)からの侵略を恐れたため、いざという時の武力援助と引き換えにペナン島の土地を貸出。
ところが、いざシャムの侵略が近づいた時に派兵を依頼しても断られてしまった。
ケダの王様は大軍でペナンを取り返そうとするも、計画がばれて失敗。
イギリスに拠点まで抑えられてペナン島はイギリスのものになってしまいます。
さらにケダもシャムに征服される。
実際、イギリスとしてはシャムとの貿易額が大きかったので、最初から派兵する気なんてサラサラなかったんだよ~。
という踏んだり蹴ったりな状況でイギリスの植民地への道を歩んだようです。
当初はヤシで作られた簡素なものでしたが、数年後に煉瓦で補強。
最終的には行政や物資の保管場所として利用されていたとのことです。
見どころ
フランシス・ライトの銅像
フランシス・ライトの上陸150周年を記念して1936年に建てられました。
フランシス・ライト自身ではなく息子のウィリアム・ライトをモデルとして制作されたそうです。
大砲
全部で17個あるうちの一番大きな大砲はセリ・バンブー(スリ・ランベイ?)。
この大砲は、普通に考えてイギリスが作った物かと思いきや、1606年にオランダがジョホール(現在のジョホール州。ポルトガルに占領されたマラッカの王様がマレー半島の南端に作った国)の王様に寄贈。
その後ポルトガルの手に渡りジャワやアチェ(現在のインドネシア スマトラ島北西部にあった王国)に運ばれ最終的にセランゴールでイギリスの手に渡りました。
砲身に花を供えると、大砲の力により子宝に恵まれるという民間伝承があるそうな…。
その他
大砲のそばには、当時の弾薬庫も残っています。
また広い敷地内には刑務所もあり、その横に建てられたキリスト教の礼拝堂はペナン島で最も古い屋根付き礼拝堂です。
イスラム教の国をイギリスが植民地化していくにあたり、キリスト教も一緒に入ってきたという経過が分かります。
嘘ついて入り込んで、奪い取るという行為を行っている人たちがキリスト教を信仰しているという何とも皮肉な話です。
有色人種または他宗教信者を騙しても罪にならない?
そこより国のために働くことに主眼があって、些末なことは罪にならない?
どういう思考で詐術により、人を陥れて土地をだまし取るという行為と信仰を両立させていたのか気になります。
罪だと自覚していた場合、悔い改める場所が欲しくて礼拝堂を作った説が浮上しますね。(全く改まっていないけど)
感想
ここも外から眺めるだけでおしまいでした。
海側に大砲が向かっている様子が見えますし、煉瓦の壁を触ることもできます。
入場料RM20。
ここに、その価値があるかどうかは、マレーシアの植民地化していった流れや歴史の知識や興味を持っているかで別れるでしょう。
または、ちゃんと教えてくれるガイドさんと一緒に歩けば楽しいでしょうね(遠い目)。
そうでない場合は、
元砦の何か広いスペースに、大砲が並んでいる。
古いから有名な観光地なんだろうなぁ。
って程度で終わってしまうと思うんです。
特にマレーシアの気候を考えると、外をざかざか歩くのは中々体力を使いますから興味をそそらないものに対してシビアになりがち。
そとから写真だけ撮ればいっか♪って結論も間違いではないと思います。
私の場合は入りたくても入れなかったのですがね。
大砲は海側を向いているので海側からが、入場せずに記念写真を撮る撮影スポットです。
釣りしている人がいました。
何が釣れるんでしょうねぇ。
この歩道沿いに転々と灰皿があったので喫煙者には嬉しい観光スポットと言えるでしょう。
(下写真の左側にかすかに映っている緑色のゴミ箱の上が灰皿になっていました)
そして、すぐそばに現代の海軍基地がありました。
今も昔も要衝は変わらないのだなと、なんだか感心しました。